10月最後の日


京都はまだまだ、かなり暖かいです。明後日から寒くなっていくらしいですね。着るものもどんどん厚くなっていきそうです。
今日はハロウィンか。
もともとは古代ヨーロッパの収穫感謝祭が、カトリックに取り入れられたものだそうで。
じゃあ私も、秋の味覚で収穫感謝祭ですー。

倒壊する巨塔

倒壊する巨塔〈上〉―アルカイダと「9・11」への道 倒壊する巨塔〈下〉―アルカイダと「9・11」への道
今でもアフガニスタンやパキスタンでの暗いニュースが流れていますが、世界がこういうことに目を向けるようになった、決定的なできごとがこの9.11であったのでしょう。
この本は、アメリカ人ジャーナリストが、各方面に綿密な取材を行い完成させたドキュメンタリーで、ピューリッツァ賞も受賞しています。すごくおもしろくて一気に読ませます。
 
まず、第2次大戦後、エジプトからアメリカに渡ったサイイド・クトゥブという作家の話しから始まります。
彼は、当初アメリカの掲げる理想に大きな魅力を感じていましたが、次第にユダヤ人社会を擁護する態度に激怒していきます。あわせて、イスラム社会が西欧化され、どんどん世俗化していく姿にも焦りを感じていくのです。
クトゥブは、慎み深く、敬虔な信仰生活を送る理想的なムスリム(イスラム信仰者)が、(彼が考えるところの)西欧の刹那的で享楽的な消費社会に毒されていくのに耐えられなかったようです。イスラムは、政治や経済活動、つまり社会全体を包むシステムとしての面が強く、その意味で単なる宗教にとどまらないからです。
その怒りは、最初は、そういう文化を受け入れる自国(や、他アラブ諸国)の政府に向けられていました。しかし、時代を経るにつれ、クトゥブの影響を受けた者たちは、「諸悪の根源としてのアメリカ」という視点を持っていくのです。
 
そこには産油国として、地球上もっとも裕福な人たちと、社会の底辺で苦しむ人たちのどうしようもない格差もあったと思われます。
現実のアラブ社会に幻滅した者たちは、鬱屈した不安と不満によって祖国に背を向け、イスラム復興という看板のもと、巧みな殉教への誘いによって、テロリズムという恐怖を生み出すに至りました。そこにはタクフィールという、無信仰者(この場合は、自分たちの主張するイスラム復興に賛成しない者)は殺してもいい、というゆがんだイスラム解釈もありました。
そしてその頂点が、サウジアラビアのおぼっちゃまだったウサマ・ビンラディンと、エジプトの静かな天才児だったアイマン・ザワヒリが作った「アルカイダ」だったのでしょうね。
一見宗教による戦争に見えながら、(その面がゼロではないにしても)その根底には貧困と格差が横たわっている、、ということを思い出します。別のところで見た、あらゆる戦争のほんとうの原因には貧困がある、という主張には、やはり説得力があります。
 
対するアメリカの方に目を向けると、そこには、警察機関であるFBIと、諜報機関であるCIAとの激しい縄張り争いが悲劇を招いた、という見方がされています。秘密情報の取り合いです。
私の勝手な想像で言うと、FBIの理想は逮捕で、情報を証拠として起訴しようとする。CIAの理想は籠絡で、情報が表に出たら活動ができなくなってしまう、、のかな。
そんなエピソードがどんどん出てきて、読んでいるうちはスリリングなんですけど、、はぁ、読んだ後はなんだかため息が出ます。ノンフィクションですからね・・。

高橋氏のライヴ

そういえばずーっと昔、加藤和彦がゲストに出ていた、高橋幸宏のソロライヴのテープを持っていたなぁ、、と思い出しました。
高校2年のとき、FMで放送されたものを録音し、修学旅行に持っていったのですね。で、友だちのウォークマンを借りて聴いてました。(ちなみにそのとき友だちが持ってきたテープで、ツェッペリンを初めて聴いた)
 
高橋のキャリアについて検索してみますと、おお、なんとこんなに詳細なサイトが。
1982年だったのね。7月26日の、新宿厚生年金会館でのコンサート。ツアーメンバーはなんとなく覚えていたな。うーん、でもこの日のゲストはすごいね。。
 

オーディオだけですが、そのときのライヴから。うんうん、これですよ。これを高校生の私は熱中して聴いていたんですよー。。
この曲「予感」は『ニウロマンティック』という高橋ソロ作の収録。それもふくめて、80年代初期のアルバムが、いまだにいちばん好きですね。ここのインタビュー(2009年3月)を見ると、本人はそういうの不本意みたいですけど(笑)

比するに前後の歩みの如し

先日の同期会で、物故者法要をつとめたと書いておりましたが、そのとき私たちは「参同契(さんどうかい)」というお経を読みました。8世紀の中国(唐)で活躍された、石頭希遷(せきとうきせん)禅師が書かれたもの。中国産の経典です。
詩の形になっていて、五言を一句とし、それが四十四句。全部で220字という短くて、しかもテンポ良く唱えられるお経なのですね。ただ、法事や葬儀には登場しませんので、一般の方が耳にされる機会はないかなぁ。
 

写真はその「参同契」の一句。このときに購入したお軸です。
 
「明暗おのおの相対(あいたい)して、比するに前後の歩みの如し」と読みます。シンプルな対句の中に、じつは仏教のポイントが隠されている名句だと思います。
「明と暗」は、それぞれ「さとりと迷い」(もっと意訳すると理想と現実か・・)といったものを象徴している、、と言えそうですね。
さとりと迷いは、もちろんまったく違う境地です。ところが、じつは迷いの中からしか、さとりは生まれてきません。
 
これは、仏教が「私たちの生きる世の中」をどう見ているか、、ということにかかっています。
たとえば、私たちは老いから逃れることはできません。これは、さとっていようが迷っていようが変わらないものです。
世の中を「けっして思い通りにならないもの」と見るのが、仏教の大大前提であるからです。(これを専門用語で「苦」と言います)
さとりと迷いの違いは、思い通りにならない不満のまま生きるか、その中でどうやってより良く生きるか、、という選択の差、とも言えると思います。
 
さとっても現実の社会を生きることには変わらず。逆に、現実に迷う社会を生きつづけることからしか、さとりはあらわれてこないわけなのですね・・。 
そのことが、ちょうど私たちが歩いているとき、左右の足はどちらが前でどちらが後ろかの別はなく、ただひたすらに順にくり出されているだけ、、ということに例えられているのでありマス。。

祝賀会です

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地域関連でたいへんお世話になっている方が、めでたく叙勲されまして、その祝賀会に出席しております。
むちゃくちゃめでたいので、とりあえず昼間っから酔っ払っておきます(笑)

箱根行ってきました~

いちおう東京人だった時代もあったのに、箱根はまったく初めての体験でした。
仲間に「めずらしいね」とまで言われながらも(笑)、楽しんできましたよー。
 

大きな地図で見る
箱根の位置関係はこんなトコロでしょうか。神奈川県でもっとも西側、すぐとなりが静岡県、そして富士山になるのですね。
箱根湯本にある同期のお寺で、物故者供養の法要と総会をおこない、近所の温泉宿で泊まりました。湯本は箱根山のふもとで観光の拠点なのかな。小田原から電車で15分くらいで着いちゃいます。
ほんとうは富士山の絶景が見られる大涌谷や、芦ノ湖まで足を伸ばしてみたかったのですが、時間の都合でかなわず。昨日にちょっと時間があったので、お寺に入る前に、登山鉄道だけ乗ってきたのです。

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箱根湯本

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行き先はここ、箱根の山ふもとです。
周辺をうろうろして、会場のお寺に向かいますー。

流星群は見えないなぁ


今夜が、オリオン座流星群のピークなんだそうですね。
流星群とは、宇宙に漂う塵が、地球の大気中に落下してくるときに燃えて発光するもの。いま見えている流星群は、昭和61年に地球に大接近した、ハレー彗星の残した塵なのだそうです。
それが、今回はオリオン座が輝く方向から見える、、というわけで、オリオン座流星群と名づけられているわけなんですね。
 
昨夜から東の空を眺めていますが、なかなか見られませぬ。しょうがないので(?)、昨日撮った冬の大三角の写真を載っけておきます。
右下がシリウス、左下がプロキオン。
そして上部、ちょっと右側にベテルギウス。オリオン座はまだ傾いてますね。
このところはお天気が良くて、うちあたりでも星が見えます。カペラやアルデバラン、双子座やカシオペア座なんかもはっきりわかりました。
 
さてさて、明日からまたお泊まりで出かけます。
今度は永平寺の同期会。どこまで行くかは、明日の記事をお楽しみにー♪